霊宝派Lingbao (Numinous Treasure) School
- 別称
- 霊宝経派, 閣皂宗(後期), 霊宝道
- 種類
- 教派
- 時代
- 東晋-宋元
- 創立
- 東晋末年(約397-402年)、葛巣甫が「霊宝を造構」
- 開祖
- 葛巣甫, 葛玄
- 地域
- 江南(句容、閣皂山)、唐宋期に全国に及ぶ
- 祖庭
- 閣皂山
- 存続
- 他派に融合 — 元代に正一教に帰属し、独立した教派としては消滅したが、霊宝科儀は道教斎醮の主体となり、今日の正一・全真の道場における度亡・祈福の儀礼はなお霊宝斎法を骨格としている。閣皂山には現在崇真宮などの復興建設がある。
概説
霊宝派は東晋末に興った道教の経派であり、『霊宝経』を経典的な拠り所とする。霊宝経の伝承は三国呉の葛玄(葛仙公)が天台山で太上真人から『霊宝五符』などの経を授かったことに始まると託されており、その後鄭隠を経て葛洪に伝えられた。東晋の隆安年間(397—401年)、葛洪の従孫葛巣甫が霊宝経を大量に造作し、「風教大いに行わる」状態となり、『元始五老赤書玉篇真文天書経』『太上洞玄霊宝無量度人上品妙経』(『度人経』)など、「元始天尊」が劫を開いて人を度すことを核心とする経典群が形成された。学界ではこれを「古霊宝経」と称する。霊宝経は仏教の劫運・輪廻・大乗普度の観念と大量の音訳語を吸収し、また天師道の儀礼と上清経の存思を継承し、斎醮科儀と衆生の普度を重んじる宗教形態を形成した。劉宋の陸修静は霊宝経を集めて整理し、『霊宝経目』を撰し、霊宝斎儀を制定し、霊宝派の科儀を道教科儀の主体たらしめた。唐代の張万福・杜光庭はさらに霊宝科儀を整理した。北宋以後、霊宝派は江西の閣皂山を伝法の中心とし、龍虎山・茅山と並んで「三山符籙」と称され、専ら霊宝籙を授けた。南宋には寧全真を代表とする東華派と『霊宝領教済度金書』『上清霊宝大法』などの大型科儀集成が出現した。元代には上清・正一とともに正一教に帰属した。霊宝派の『度人経』は明の『正統道蔵』の首経に列せられ、その黄籙斎などの儀礼は今日に至るまで正一・全真両派の科儀の基本的枠組みであり続けている。
核心教義
元始天尊を至高の神とし、「天書真文」が劫を開いて人を度すことを説く。衆生の普度と済生度死を主張し、功徳は先亡と衆生に回向できるとする。劫数・輪廻・天堂地獄・善悪果報などの観念を導入する。斎戒の功徳と儀礼による救度を強調し、上清派に比べてより普遍的な宗教的性格を持つ。この志向により霊宝派は道教の中で最も社会性と儀礼性に富む経派となった。
修行と科儀
斎醮科儀を核心とする:金籙斎(国のために祈福する)、黄籙斎(亡魂を抜度する)、明真斎、三元斎、自然斎など。『度人経』の誦持。歩虚・旋繞・焼香・懺謝・投龍簡。霊宝五符の佩帯と五方五帝の存思。宋代には煉度・施食などの超度儀礼が発展した。霊宝斎法の基本的枠組みはその後千年以上にわたり道教科儀に受け継がれた。
伝承
伝説上の系譜:葛玄 → 鄭隠 → 葛洪 → 葛巣甫(実際の造経者)→ 任延慶・徐霊期ら → 陸修静による整理 → 唐代の張万福・杜光庭 → 北宋の閣皂山霊宝宗壇 → 南宋の東華派(王古・田霊虚・寧全真)と霊宝大法系統 → 元代に正一教へ併合。