東華派Donghua (Eastern Florescence) School
- 別称
- 東華霊宝派, 霊宝東華派, 寧全真派
- 種類
- 道派
- 時代
- 南宋—元
- 創立
- 北宋末南宋初(約12世紀初頭)、王古・田霊虚より寧全真(1101年—1181年)へと伝わった代に形成された
- 開祖
- 寧全真
- 継承元
- 霊宝派
- 地域
- 浙江杭州、温州及び江南
- 存続
- 他派に融合 — 元代以降、正一教に融合した。その斎醮科儀の体系(煉度・施食など)は今日に至るまで正一・全真の道場で用いられている。
概説
東華派は南宋期に霊宝派から分化した道派であり、寧全真を実質的な創始者とする。その自述する系譜によれば、霊宝の経法は元始天尊から東華帝君(青童君)に伝わり、葛玄・陸修静らを経て北宋末の王古・田霊虚に伝わり、田霊虚が寧全真に伝えたことから東華派と名づけられたという。寧全真、名は立本、河南開封の人で、靖康の変の後に南渡して杭州に住し、霊宝の法術によって高宗・孝宗の両朝に重んじられ、「洞微高士」を授けられた。その法は霊宝の斎醮を主とし、あわせて上清の存思、天心正法、神霄雷法を採り入れ、「霊宝大法」の体系を形成した。寧全真は王契真に伝え、王契真は『上清霊宝大法』六十六巻を編んだ(寧全真が授け王契真が編んだとする説、また金允中が編んだ同名の四十五巻本があり、これは別の一支を代表するとの説もある)。元初には林霊真が『霊宝領教済度金書』三百二十巻を編み、これは道教史上最も浩瀚な科儀総集であって、東華派科儀の集大成である。東華派は度亡の科儀を重んじ、とりわけ「煉度」(内丹の水火をもって亡魂の形を煉り超度する)や施食、開度亡魂などの儀節を発展させ、宋元期の霊宝科儀の主要な担い手であった。元代、林霊真の弟子董処謙らがその伝承を継続し、その後正一教に合流した。その斎醮体系は明清の正一科儀に広く吸収され、今日に至るまで道教の度亡儀礼は多くその構造を踏襲している。
核心教義
元始天尊と東華帝君を尊び、霊宝の「開劫度人」の旨を承けて、斎醮をもって存者・亡者を救度することを主張する。「内錬と外法の相合」を提唱し、度亡には法師自身の内丹の功力(水火煉度)を基礎とせねばならないとし、上清・天心・神霄の法を融摂しつつ霊宝を体とする。東華派はまた「度亡はまず己を度す」ことを重んじ、法師はまず内丹を修煉して亡魂を済度する能力を得るべきであると主張し、その斎醮理論は儀礼の効力を法師の修為と密接に結びつけた。
修行と科儀
霊宝大法の斎醮——黄籙斎、煉度、施食、破獄、開度亡魂、薦抜。符を書し、章を上げ、歩虚し、存思する。内丹を修煉する。霊宝東華の法籙を授ける。東華派はまた「霊宝大法」の中の符篆・法印・法職を伝授し、法師は受度・受職を経てはじめて壇を主宰することができる。その科儀の構造は明清の正一度亡道場に影響を与えた。
伝承
霊宝経の伝承(葛玄―陸修静……)→ 北宋末の王古 → 田霊虚 → 寧全真 → 王契真・趙義夫ら → 元初の林霊真(『済度金書』を編む)→ 董処謙ら → 元代以降、正一教に合流。金允中の一支(『上清霊宝大法』四十五巻)は並行する霊宝大法の系統である。
主要経典
霊宝領教済度金書, 『霊宝玉鑑』, 元始無量度人上品妙経代表的な人物
寧全真, 王契真, 金允中, 林霊真主要宮観
閣皂山- 维基百科:东华派
- 《上清灵宝大法》《灵宝领教济度金书》(《正统道藏》)
- 卿希泰主编《中国道教史》第三卷第二章
- Kristofer Schipper & Franciscus Verellen (eds.), The Taoist Canon, 2004
- Livia Kohn (ed.), Daoism Handbook, ch. 18
- 汉程网:道教宗派—东华派