唐玄宗Emperor Xuanzong of Tang
生涯
唐の玄宗李隆基は712年から756年にかけて在位し、唐代でもっとも道教を崇奉した皇帝で、その治世に道教は唐代の最盛期を迎えた。主な施策は次の通りである。開元九年(721)、司馬承禎より法籙を受けた。開元二十一年(733)には士庶の家に『老子』一本を蔵することを命じ、科挙に『老子』の策問を加えた。開元二十五年に玄学博士を置き、二十九年(741)には両京および諸州にそれぞれ玄元皇帝廟・崇玄学を設け、『老子』『荘子』『文子』『列子』によって科挙を行う「道挙」を制度化した。天宝元年(742)には荘子を南華真人、文子を通玄真人、列子を冲虚真人、庚桑子を洞霊真人に封じ、四書はそれぞれ真経に昇格した。天宝二年(743)には老子に「大聖祖玄元皇帝」の尊号を加え、八載にはさらに「聖祖大道玄元皇帝」を加え、十三載には「大聖祖高上大道金闕玄元天皇大帝」を加えた。みずから『道徳経』に注釈を施して天下に頒布し、開元年間には『開元道蔵』(『三洞瓊綱』、一説に三千七百余巻)を編成した。道経の捜集を詔命し、張万福・司馬承禎らに科儀を主宰させた。また妹の金仙・玉真の二公主を入道させた。さらに張果・羅公遠・葉法善・呉筠・李含光ら道士を礼遇し、多数の宮観を造営した。安史の乱の後は太上皇として退居し、宝応元年(762)に崩じた。
業績と影響
- みずから『道徳経』に注釈を施して頒布し、帝王による老子注釈の模範となった
- 玄学博士・崇玄学・道挙を設け、道教経典を科挙制度に組み入れた
- 『開元道蔵』を編纂し、道蔵として最初の官修事業とした
- 四子を真人に封じ老子の尊号を加え、道教の国教化を完成させた
- 茅山・王屋など上清派の宗壇を支援し、宮観を興した
著作
伝説
伝説には、老君が夢に現れて「われに像あり、京城の西南百余里に在り」と告げたことにより玄元の像を得たという話、また月宮に遊んで『霓裳羽衣曲』を得たという話(葉法善・羅公遠に付会される)がある。いずれも伝説に属する。
参考文献
- 《旧唐书·玄宗纪》
- 《新唐书·玄宗纪》
- 维基百科:唐玄宗
- 卿希泰主编《中国道教史》第二卷
- 陳国符『道蔵源流考』