丘処機Qiu Chuji
- 字・道号
- 字は通密, 号は長春子, 長春真人, 長春全徳神化明応真君
- 時代
- 金—元
- 生没年
- 1148 — 1227
- 流派
- 全真教, 全真龍門派
- 役割
- 全真七子龍門派祖師全真掌教内丹家
- 出身地
- 登州栖霞(現在の山東省栖霞)
- 活動地
- 崑崳山, 北京白雲観, 崂山
生涯
丘処機は山東棲霞の人。十九歳で出家し、翌年に王重陽に師事した。全真七子の中で最年少である。王重陽の没後は磻渓に六年、龍門山に七年、洞穴に籠って苦修し志を励んだため「蓑衣先生」と呼ばれた。金の世宗、章宗にはいずれも召見された。金末の乱世、宋・金・蒙古の三者が競って招聘するなか、彼は成吉思汗の召に応じることを決意し、1220年、七十三歳の高齢をもって十八人の弟子を率い万里を西行、1222年に大雪山(今のアフガニスタンのヒンドゥークシュ山脈)において成吉思汗と会見し、「天を敬い民を愛す」「清心寡欲」を進言して殺戮を止めるよう勧めた。その事跡は弟子の李志常が著した『長春真人西遊記』に見える。帰国後は天下の道教を掌管するよう命じられ、道衆の賦役を免除させ、燕京の長春宮(今の白雲観)に住持し、全真教はこれによって隆盛の頂点に達した。彼が伝えた龍門派は全真最大の支派である。丘処機は『磻渓集』『大丹直指』などを著し、1227年に長春宮において没した。その葬られた場所は今の白雲観丘祖殿にあたる。
業績と影響
- 西行して成吉思汗に謁見し、「一言にして殺を止む」と伝えられ、全真教のために政治的地位を勝ち取った
- 天下の道教を掌管し、全真教を北方最大の道派たらしめた
- 龍門派を創始し、後世の全真の主流となった
- 『大丹直指』を著し、全真の内丹功法を体系的に論述した
著作
伝説
「一言にして殺を止む」の事跡は後世に潤色が加えられることが多い。龍門における苦修や「食をもって人を化す」などの逸話が全真の碑伝に見えるが、これらは伝説に属する。
参考文献
- 《长春真人西游记》
- 《元史·释老传》
- 陈垣《南宋初河北新道教考》
- 维基百科"丘处机"条目
- Livia Kohn ed., Daoism Handbook, ch. Quanzhen