葛氏金丹道(丹鼎派)Ge Family Golden Elixir Tradition (Danding School)
- 別称
- 丹鼎派, 金丹派, 葛家道, 外丹派
- 種類
- 学派
- 時代
- 後漢-唐
- 創立
- 後漢の魏伯陽の『参同契』が理論的基礎を築き、東晋の葛洪が集大成した(約4世紀初頭)
- 開祖
- 魏伯陽, 葛洪
- 地域
- 江南(句容、羅浮山)
- 祖庭
- 羅浮山
- 存続
- 他派に融合 — 外丹の実践は宋代以降ほぼ消滅したが、その理論と術語は内丹学に全面的に継承され、「丹鼎派」の名は後に内丹諸派の総称となった。
概説
金丹道あるいは丹鼎派は、外丹の錬製と服食による成仙を主な修行の道とする道教の伝統であり、符籙派と相対する。その代表人物は東晋の葛洪である。金丹思想は秦漢の方仙道における「丹砂を化して黄金となす」という発想と、後漢の魏伯陽『周易参同契』に淵源する。後者は『周易』の卦爻、黄老思想、炉火の事を相参同させたもので、「万古丹経の王」と称される。葛洪(283–343年)は江南の士族の出身で、鄭隠に師事して葛玄の伝えた金丹の経書を得、また鮑靚より三皇文を受け、晩年は羅浮山に隠棲して丹を錬り、『抱朴子内篇』二十巻を著して神仙が学び得るものであり、致し得るものであることを体系的に論証した。彼は「金丹の道」こそ登仙の根本的な道であり、その他の行気、房中、草木薬の服用は寿命を延ばすことはできても不死には至らないとした。彼はまた『太清丹経』『九鼎丹経』『金液丹経』という三大丹経の伝承体系を整理し、修仙は必ず忠孝仁信を根本とすべきことを強調し、神仙道教と儒家倫理とを調和させた。葛洪の学は「葛家道」あるいは「葛氏道」と称され、葛巣甫による霊宝経の造作や陶弘景の錬丹活動に直接の影響を与えた。唐代に外丹は最盛期を迎えたが、丹を服して中毒死する帝王がたびたび現れ、宋代以降は外丹が次第に衰え内丹が興隆し、「丹鼎」の名はやがて内丹諸派によって受け継がれることとなった。本項は魏晋から唐に至る外丹の伝統に重点を置く。
核心教義
神仙は実在し、長生は致し得るものであると考え、人は金丹(還丹・金液)を服することによって天地と寿を同じくすることができるとする。金丹はその「焼くこと久しきほど変化いよいよ妙なり」「埋めて天を畢うるまで朽ちず」という性質により、これを服せば人を不老不死ならしめることができるとされる。修道は徳を本とし、善を積み功を立てるべきであり、あわせて明師の伝授と盟誓による秘密の保持を要すると主張する。この理論は道教の神仙学説に体系的な論証を与えた。
修行と科儀
薬物の採取(丹砂、雄黄、雲母、金銀など)、炉の築造、九転還丹、金液、丹の服用を行い、行気、導引、房中、草木薬の服食、符の佩用、守一を併せ行う。山に入る際の日の選定、盟誓による経の伝授を重視する。葛洪は医薬も重視し、『肘後備急方』を著した。外丹の操作には厳格な斎戒、択日、択地、秘密保持の要求があり、丹薬の多くは鉛・水銀・砒素などを含み、唐代には丹を服して中毒した帝王や士人が少なくなかった。
伝承
魏伯陽(『参同契』)→ 伝説上の左慈 → 葛玄 → 鄭隠 → 葛洪。葛洪の学は一族の後裔と江南の道士に伝えられ、陶弘景、孫思邈らに影響を与えた。唐代の外丹家(張果、孟詵など)がこれを承け、宋代以降は外丹が衰微し、その理論的資源は鍾呂内丹派と南宗へと移った。外丹家の伝承は多く秘伝の経書と口訣を紐帯とした。
主要経典
周易参同契, 抱朴子内篇代表的な人物
魏伯陽, 左慈, 葛玄, 鄭隠, 葛洪, 鮑姑, 陶弘景, 孫思邈主要宮観
羅浮山, 閣皂山, 茅山(句曲山), 天台山- 维基百科:葛洪
- 葛洪《抱朴子内篇》(王明《抱朴子内篇校释》,中华书局)
- 卿希泰主编《中国道教史》第一卷第三章
- Nathan Sivin, Chinese Alchemy: Preliminary Studies, Harvard University Press, 1968
- Fabrizio Pregadio, Great Clarity: Daoism and Alchemy in Early Medieval China, Stanford University Press, 2006
- Livia Kohn (ed.), Daoism Handbook, ch. 6 (Fabrizio Pregadio, “Elixirs and Alchemy”)