ホーム流派 › 方仙道

方仙道Fangxian Dao (Way of the Fangshi and Immortality-seekers)

別称
方士, 神仙家, 神仙方術
種類
民間道法
時代
戦国-秦漢
創立
戦国中後期、燕・斉の沿海地方に興った
地域
燕・斉(今の山東、河北沿海)、秦漢期に関中と全国に拡大
存続
他派に融合 — 後漢末以後は道教各派に融合し、その神仙信仰・外丹・養生方術は道教の構成要素となった。「方士」という語は後に術士全般を広く指すようになり、もはや特定の一派を指すものではなくなった。

概説

方仙道は戦国から秦漢にかけて流行した神仙信仰と方術の伝統を総称する語で、『史記・封禅書』の「方仙道を為し、形解銷化し、鬼神の事に依る」に由来する。戦国時代、燕・斉の沿海地域の方士は、海上に蓬莱・方丈・瀛洲の三神山があり、山上には仙人と不死の薬があると説いた。斉の威王・宣王、燕の昭王はいずれも人を遣わして海に入り仙を求めさせた。秦の始皇帝が統一した後には、徐福・盧生・侯生らの方士が命を受けて仙薬を求め、始皇帝はたびたび東方に巡幸し海に臨んだ。漢の武帝の時代には、李少君・少翁・欒大・公孫卿らの方士が、竈を祀ること、丹砂を化して黄金と成すこと、神と通じること、封禅などの術によって寵愛を受けた。方仙道の思想的基礎には、鄒衍の陰陽五行説と神仙不死の観念が含まれ、その方術は行気・導引・服食・辟穀・房中・煉丹・祭祀に及ぶ。方仙道には統一された組織も体系的な教義もなかったが、「長生成仙」を修煉と方術によって達成しうる目標として確立し、神仙の系譜(西王母、安期生、羨門高など)と養生方術の原型を形成した。これは後世の道教における神仙信仰と煉養術の直接の源をなすものである。学界では一般に方仙道と黄老道とを、道教の二大前身として並び挙げている。

核心教義

人は仙薬の服食、煉丹、行気などの手段によって「形解銷化」し、不死長生を得て、仙となり天に昇りうると信じる。天人感応と、陰陽五行が宇宙の変化を支配するとする説を主張し、鬼神は祀ることで招き寄せることができるとする。神仙は海上の神山あるいは崑崙などの仙境に居るとされる。黄老道と比べると、方仙道は具体的な方術の実践と個人の成仙をより重視し、政治哲学的な色彩は比較的薄い。

修行と科儀

仙薬を求め、海に入って神山を探し、竈を祀り丹を煉る(丹砂を化して黄金と成す)、行気導引、辟穀服食、房中の術、占候望気、封禅祭祀などを行う。これらの方術は後に葛洪の『抱朴子内篇』によって体系的にまとめられ、道教の外丹・内煉・斎醮各系統の技術的源流となった。方士たちはまた望気・候星・卜筮によって帝王に仕えることが多く、求仙と国家祭祀とを結びつけた。

伝承

鄒衍の陰陽五行学と燕斉の方士の伝統 → 秦代の方士(徐福、盧生)→ 漢の武帝時代の方士(李少君、欒大、公孫卿)→ 両漢の讖緯・神仙家 → 黄老道と合流し、太平道・天師道および葛洪の金丹道に融合する。方仙道には考証しうる師承体系はなく、その人物の多くは『史記』『漢書』『列仙伝』に見える。

主要経典

抱朴子内篇, 『列仙伝』

代表的な人物

鄒衍, 徐福, 李少君, 安期生, 漢武帝, 秦の始皇帝

主要宮観

泰山
参考文献
  1. 维基百科:方仙道
  2. 司马迁《史记·封禅书》《史记·秦始皇本纪》
  3. 卿希泰主编《中国道教史》第一卷第一章
  4. 葛兆光《道教与中国文化》,上海人民出版社,1987 年
  5. Isabelle Robinet, Taoism: Growth of a Religion, Stanford University Press, 1997, ch. 2