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陰長生Yin Changsheng

字・道号
陰真人
時代
後漢
生没年
? — ?
流派
方仙道
役割
方士煉丹家神仙伝の人物
出身地
新野(現在の河南新野)

生涯

陰長生は後漢の方士で、葛洪『神仙伝』に見える。伝えるところによれば、彼は漢の和帝の陰皇后の一族の子弟であり、家柄は富貴でありながら道を好み、馬鳴生(一に馬明生に作る)が太清神丹の秘訣を得たと聞いて、弟子の礼をもってこれに従うこと二十余年、同行した者の多くが去っていく中で陰長生だけは怠らず、馬鳴生はついに青城山中で『太清神丹経』を授けたという。その後、彼は武当山の石室に入って丹を合わせることに成功し、金を散じて貧者を済い、人間を三百余年にわたって遊行し、最後には白日昇天したとされる。伝にはまた、彼が自ら書三篇を作り、仙道は学び得るものであり丹術は成し得るものであると論じ、「仙は学ぶべからず」という説に反駁したとも記される。陰長生の道教史上における意義は主に二点にある。一つは馬鳴生・陰・張の一系による『太清経』系外丹の伝法系譜を構成すること、もう一つは宋以後に「陰長生注」と題する『周易参同契』の注本が流布したことであり、これは仮託の作と考えられている。その人の事跡はすべて仙伝に出るものであり、正史の裏付けはなく、漢魏の外丹伝統が自らを構築した伝説上の人物とみなすべきであって、実証可能な歴史上の個人ではない。

業績と影響

  • 『太清神丹経』系外丹の伝承系譜における重要な環である
  • 『神仙伝』が記す彼自身の三篇は、初期の「仙は学び得る」論を代表するテキストである
  • 武当山、青城山における煉丹伝説の重要な出典である

著作

  • (伝)自序丹訣三篇
  • (仮託)周易参同契注

伝説

白日昇天、金を散じて貧者を済うこと、丹が成った後に人間を三百余年にわたって遊行したことなどは、いずれも『神仙伝』に出るものであり、宗教的伝説に属する。「陰長生注」と題する『周易参同契』の注本については、学界では概ね宋以後の仮託とみなされており、これをもって彼と『参同契』との実際の関係を論定することはできない。

参考文献
  1. 葛洪《神仙传》卷四
  2. 《云笈七签》所引仙传
  3. 任继愈主编《道藏提要》(《周易参同契》诸注本条)
  4. 维基百科“阴长生”条目