李阿Li A
- 字・道号
- 李八百(後世に混同される)
- 時代
- 漢末三国(蜀)
- 生没年
- ? — ?
- 流派
- 方仙道
- 役割
- 方士仙伝人物
- 出身地
- 蜀(現在の四川)
生涯
李阿は後漢末の蜀地の方士で、葛洪『神仙伝』に見える。伝えるところによれば、彼は常に成都の市中で食を乞い、得た銭や物はすべて人に施し、その容貌は数十年変わらず、蜀の人々は代々彼を見たため「八百歳公」と号したとされ、後世これが「李八百」の伝説と混同されるようになった。『神仙伝』には弟子の古強、李寛らが彼に従って道を問うたと記され、その応答の多くは顔色をもって意を示すのみで言葉を発しなかったとされ、「不言の教え」を体現する仙人の典型と見なされる。李阿の記載の価値は、後漢末の蜀中における民間方術と初期天師道とが並存した宗教的様相を反映している点にある。五斗米道が興起したのと同じ地域において、同時に市井での乞食と不老不死を標識とする散仙の伝説が活発であり、両者は人物・法術の両面で互いに浸透していた。李阿本人には著述がなく、その事跡はすべて仙伝に依るものであり、伝説上の人物に属する。その名号は後世の道教に吸収され、四川一帯には李八百洞、李八百祠など彼に仮託された遺跡が多い。
業績と影響
- 後漢末蜀地の散仙伝説を代表する人物であり、初期道教と民間方術との交渉を反映している
- その弟子・李寛が蜀中の道法を江南へもたらし、天師道東伝の伝説上の環となった
伝説
成都で食を乞うたこと、数十年にわたり老いなかったこと、顔色をもって人に応じ言葉を発しなかったこと、後に青城山に入り行方が知れなくなったことなどは、いずれも『神仙伝』に出るものであり、伝説に属する。「李八百」「李脱」などの名号との混同は、後世に層をなして積み重なった結果である。
参考文献
- 葛洪《神仙传》卷五
- 《抱朴子内篇·杂应》
- 卿希泰主编《中国道教史》第一卷
- 维基百科“李八百”条目