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漢武帝Emperor Wu of Han

字・道号
劉徹, 漢の世宗
時代
前漢
生没年
紀元前156年 — 紀元前87年
流派
方仙道, 黄老道
役割
崇道帝王求仙者
出身地
長安
活動地
泰山

生涯

漢の武帝劉徹は、中国史上もっとも求仙をもって著名な帝王であり、『史記・封禅書』はほぼ彼の一朝を主体として書かれている。彼は先後して李少君(竈を祠り丹砂を化して黄金となし、蓬莱の仙人を致す)、少翁(方術をもって王夫人の神を致し、文成将軍に封ぜられる)、欒大(五利将軍に封ぜられ衛長公主を尚とするも、後に方術が験なきをもって腰斬にされる)、公孫卿(黄帝が鼎を鋳て昇天したとの説をもって武帝に封禅と求仙を勧める)などの方士を信用した。元封元年(前110)には泰山にて封禅を行い、以後たびたび海を巡って蓬莱を求め、太一・后土を祠り、柏梁台・承露盤を作って仙露を求め、方士を海に遣わすことが絶えなかった。晩年には輪台の詔を下し、その「事を行いて天下を騒がし労せしめたる所以」を悔い、方士が神怪を求める事を罷めた。武帝の一朝の意義は、方仙道がここに至って国家祭祀(太一・封禅)との結合を完成させ、煉金求仙・五行災異・神仙譜系の諸要素が官方の宗教に統合され、後漢道教の成立のための条件が整えられた点にある。後世の道教はさらに彼をめぐって『漢武帝内伝』『漢武洞冥記』などの仙伝を作り出し、西王母の降臨、七聖紀と五岳真形図の授与などの事を敷衍したが、これは正史の記載とはかけ離れている。

業績と影響

  • 方士を大規模に信用し、方仙道と国家祭祀(太一、封禅)とを結合させた
  • 泰山にて封禅を行い、漢代の帝王と神仙信仰との礼制上のつながりを確立した
  • その朝廷は煉丹求仙と五行術数の制度的温床となり、後漢道教の形成に直接の布石を敷いた
  • 道教文学において『漢武帝内伝』などの重要な仙伝文献を派生させた

著作

  • (托名)漢武帝内伝
  • (托名)漢武洞冥記

伝説

『漢武帝内伝』には、七月七日に西王母が降臨し、蟠桃四つを賜り、『五岳真形図』と『霊飛六甲』を授けたが、武帝は戒を守ることができず終に道を得なかったと記される。『漢武洞冥記』に記される方外の奇物なども、いずれも魏晋以後の道教仙伝であり、史実ではない。

参考文献
  1. 《史记·封禅书》
  2. 《汉书·郊祀志》《汉书·武帝纪》
  3. 《道藏》所收《汉武帝内传》
  4. 维基百科“汉武帝”条目