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李寛Li Kuan

字・道号
李阿の弟子, 李家道教主
時代
三国(呉)
生没年
? — 3世紀半ば頃
流派
方仙道, 五斗米道
役割
道士民間教団の首領
出身地
蜀(現在の四川)

生涯

李寛は三国時代の人で、『神仙伝』と葛洪『抱朴子内篇・道意』のいずれにも記載がある。葛洪の記述によれば、李寛はもと蜀の人であったが、その容貌や口音が前代の仙人・李阿に似ていたため、呉に入った後、呉の人々に李阿の再来と誤認され、そのため「李八百」と尊ばれ、呉会の一帯で衆を集めて「廬舎」を設立し、符水をもって病を治し、弟子と祭酒を立て、信徒は数千人に及んだという。葛洪はこれについてかなり批判的であり、後に呉中で大疫が起こり、李寛本人とその弟子の多くが病で死んだことを指摘し、その術が頼むに足りないものであることを示し、これをもって当時の民間道法への盲従を批判している。李寛の教団は学界によって「李家道」と呼ばれ、三国両晋の際に江南に流行した民間の道派であり、その組織形態(治、祭酒、符水、厨会)は巴蜀の五斗米道と非常によく似ており、天師道が蜀から呉へ伝わる際の媒介と見なされ、また東晋の葛氏・許氏といった世家道教が興起する以前の江南宗教の重要な背景でもある。

業績と影響

  • 李家道の教団を創始し、巴蜀の符水道法と祭酒制度を江南へ伝えた
  • 天師道の東伝、江南民間道教の形成における重要な環である
  • その盛衰は『抱朴子』に記載されており、初期道教組織を研究する第一次資料である

伝説

呉の人々に李阿の再来と見なされたこと、符水をもって病を治すことができたことなどは、当時の信徒の説によるものであり、葛洪はすでにこれを附会であると明言している。

参考文献
  1. 葛洪《抱朴子内篇·道意》
  2. 葛洪《神仙传》
  3. 汤用彤、陈寅恪相关论述
  4. 卿希泰主编《中国道教史》第一卷