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南天師道Southern Celestial Masters

別称
南方天師道, 陸修静天師道
種類
宗派
時代
南北朝
創立
東晋南朝期、劉宋の陸修静(406-477)による整理を標識とする
開祖
陸修静
継承元
天師道
地域
江南(建康、廬山、天台などの地)
祖庭
簡寂観遺址, 茅山(句曲山)
存続
他派に融合 — 南朝以後、三洞経籙を体系とする道教の主流に融け込み、その正一籙の部分はのちの正一教に帰属し、斎儀の部分は唐宋道教の科儀の基礎となった。

概説

南天師道とは、東晋・南朝期に江南で発展した天師道の系統を指し、通常は劉宋の道士陸修静による整頓・改革をもって代表とする。天師道は三国以後の移民にともなって南に伝わり、東晋期には江南の士族と民間に広く流布した。同時に上清・霊宝の新経派も江南に出現し、教団組織は緩やかで、経書の真偽が入り混じり、科儀も統一を失っていた。陸修静は呉興の名家の出であり、名山を遍歴し、晩年は廬山簡寂観に住し、宋の明帝によって建康崇虚館に召された。彼は「三張を祖述し、二葛を弘衍す」とされ、一方では天師道を整頓し、『陸先生道門科略』を撰して、当時「治職」がみだりに授けられ道民が科律を奉じない弊害を批判し、宅録・命籍・三会日・朝儀などの制度を改めて明らかにした。他方では道書を広く収集し、泰始七年(471年)に『三洞経書目録』を編み、洞真(上清)・洞玄(霊宝)・洞神(三皇)の三洞分類を初めて創始し、後世の『道蔵』の体例の基礎を築いた。さらに九斎十二法の斎醮儀範を制定し、『霊宝斎説光燭戒罰灯祝願儀』などを撰した。したがって南天師道は実質的に、天師道の組織制度と上清・霊宝の経教とを融合させた改革の形態であり、道教が民間教団から経教化・儀式化へと向かう上での重要な節目と見なされる。陸修静の後、その弟子孫游岳が陶弘景に伝え、南朝道教はついに茅山上清を核心として発展を続けた。

核心教義

天師道が老君を宗とし正一盟威籙を本とする信仰を受け継ぎつつ、あわせて霊宝・上清の経教と神譜を受容し、三洞をともに尊びつつ正一を基とする階層観念を形成した。科律・斎戒・功徳と懺悔を重んじ、道民が「道を奉じ戒を守り、宅録・命籍する」秩序を重視する。陸修静は「三洞」には高下の別がありながらも同じく道より出るとする経教観を提示し、後世が諸派を統合する理論的枠組みを提供した。

修行と科儀

陸修静は「三会日」(正月七日、七月七日、十月五日)の道民朝会制度と宅録命籍を再建し、上章・朝真の儀を規範化した。九斎十二法(金籙斎・黄籙斎・明真斎・三元斎・八節斎・自然斎・三皇斎・太一斎・指教斎・塗炭斎など)を制定した。誦経・礼懺・焼香・燃灯などの儀節が道教斎醮の標準的な形式となった。

伝承

江南天師道の祭酒世家と士族の道民 → 陸修静による科律・経目の整理 → 孫游岳 → 陶弘景(茅山上清)。陸修静の斎儀は唐代の張万福・杜光庭によって継承・発展された。その三洞分類は道蔵編纂の基本的な枠組みとなった。北天師道と比べると、南天師道は朝廷と緊密に結びつくことはなく、経典の整理と科儀の規範化という形で後世に影響を及ぼした。

主要経典

三洞経書目録

代表的な人物

陸修静, 孫游岳, 陶弘景, 葛巣甫

主要宮観

簡寂観遺址, 茅山(句曲山)
参考文献
  1. 维基百科:陆修静
  2. 陆修静《陆先生道门科略》(《正统道藏》正一部);《南史·隐逸传》
  3. 卿希泰主编《中国道教史》第一卷第五章
  4. Peter Nickerson, “The Southern Celestial Masters,” in Daoism Handbook, Brill, 2000
  5. Kristofer Schipper & Franciscus Verellen (eds.), The Taoist Canon: A Historical Companion to the Daozang, University of Chicago Press, 2004