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宋徳方Song Defang

字・道号
字は広道, 号は披雲子, 披雲真人, 玄通弘教披雲真人
時代
金—元
生没年
1183 — 1247
流派
全真教, 全真龍門派
役割
道蔵編纂者石窟開鑿者全真高道
出身地
莱州掖県(現在の山東省莱州)
活動地
永楽宮

生涯

宋徳方は山東莱州の人で、全真教の重要人物である。劉処玄、丘処機に師事し、1220年には丘処機に従って西行した。帰還後は山西に派遣されて布教し、永楽宮(純陽万寿宮)の重建を主宰したほか、太原の龍山に道教石窟――龍山石窟を開鑿した。これは現存最重要の道教石窟である。1237年より、彼は平陽(今の山西臨汾)の玄都観において『玄都宝蔵』七千余巻の編纂・雕印を提唱・主宰し、八年を費やして完成させた。元代唯一の官修道蔵であるが、惜しくも1281年に元の世祖の勅命により焚毀された。宋徳方は全真教の山西における伝播と道教文献の保存に多大な貢献をなした。没後は永楽宮の近くに葬られ、元代に「玄通弘教披雲真人」を追封された。

業績と影響

  • 『玄都宝蔵』を主編し、元代の道蔵として最も重要なものとなした
  • 太原龍山の道教石窟を開鑿した
  • 永楽宮の重建を主宰し、その規模を定めた
  • 山西において広く宮観を建立した

著作

  • 『玄都宝蔵』(主編、既に佚す)
  • 『楽全集』
参考文献
  1. 《甘水仙源录》
  2. 永乐宫《披云真人道行碑》
  3. 陈垣《南宋初河北新道教考》
  4. 维基百科"宋德方"条目