天心正法派Tianxin Zhengfa (Correct Method of the Celestial Heart)
- 別称
- 天心派, 天心正法, 北極駆邪院法, 饒洞天派
- 種類
- 道派
- 時代
- 北宋—元
- 創立
- 北宋の太宗の淳化五年(994年)、饒洞天が華蓋山で天書を掘り出したとされる(『上清天心正法』序による)
- 開祖
- 饒洞天, 譚紫霄
- 継承元
- 天師道
- 地域
- 江西撫州、南豊一帯、宋代には福建・江南に伝わった
- 存続
- 他派に融合 — 元代以降、正一教および各地の法教に融合し、独立した道派としては姿を消した。その符法の要素は正一科儀および閭山・普庵など民間の法派において今なお見て取れる。
概説
天心正法派は北宋初年に江西で興った符籙道派で、宋代「新符籙派」の中で最も早いものである。元代の鄧有功『上清天心正法』の序によれば、淳化五年(994年)、江西の饒洞天が夢に神人の指示を受け、華蓋山で金函の天書「天心経正法」を掘り出し、後に譚紫霄に出会って符法を授かり教を立てたという。南豊の譚紫霄(もと閩国の道士)は張陵より伝わる「天心正法」を得たと自称し、そのためこの派は張陵を遠祖、饒洞天を近祖として奉じ、天師道の系統に附属する。北宋末には元妙宗(『太上助国救民総真秘要』1116年)と路時中(『無上玄元三天玉堂大法』1120年頃)がそれぞれ天心正法を整理し、体系化して、宋代における駆邪治病の術の代表となった。天心正法は「北極駆邪院」を法署とし、三光正気(日・月・星)と「三符」(三光符・天罡符・黒煞符)を核心とし、北極紫微大帝・天蓬元帥などを祀り、法師は「駆邪院」の官職を自称して鬼神を考召し邪祟を治療し、士大夫・地方官吏・民間に広く用いられ、宋代の志怪筆記(洪邁『夷堅志』など)にも多く記録されている。南宋以降、天心正法は神霄・清微の雷法と相互に浸透し合い、元代には鄧有功が『上清天心正法』七巻を編み、その後正一教に合流し、その符法は『道法会元』や後世の法術の中に今も残っている。天心正法派は道教の法術が教団による授籙から法師個人を中心とする「法」の系統へと転換したことを標す事例であり、宋元以降の民間の法教(閭山・普庵など)に深い影響を及ぼした。
核心教義
北極紫微大帝を「天心」の主と尊び、「正法」をもって邪魅に対抗する。法師は正気・正心をもって法を行わねばならず、「三光正気」をもって天蓬・黒煞などの神将を役使するとみなす。天師道の盟威正一の統を沿用し、符法によって民を救い、邪を駆逐し病を治し、王化を助けることを主張する。天心正法はまた法師の授権と法職の体系を重んじ、法師は受法・盟誓・佩符を経てはじめて法を行うことができ、その「法官」の身分は地方官吏に類する。
修行と科儀
三光符・天罡符・黒煞符を書す。訣を掐み、罡を歩み斗を踏み、憑依した鬼神を考召する。「北極駆邪院」の法壇を設け、法師は「駆邪院使」などの職称をもって法を行う。治病・祟りの追放・安宅・鎮邪を行う。宋代には地方の士人と道士がしばしば兼修した。天心正法はまた「天罡」「三光」の存思を核心とし、法師は法を行う前に自身が神将あるいは北極大帝に化すると存想せねばならず、これは宋代法術の「内錬—外用」という発想を反映している。
伝承
張陵に始まると仮託される。譚紫霄(南唐・閩)→ 饒洞天(994年)→ 朱監・姚崇ら → 北宋末に元妙宗・路時中がそれぞれ整理 → 南宋の雷時中(混元六天法、天心も兼ねる)→ 元代の鄧有功 → 正一教に合流。天心正法は南宋以降、主に法術体系として各地の道士と地方士人のあいだに流伝し、その法官制度は閭山・普庵など民間の法派に直接的な影響を与えた。
主要経典
『道法会元』代表的な人物
饒洞天, 譚紫霄, 元妙宗, 路時中, 鄧有功主要宮観
龍虎山- 维基百科:天心派
- 邓有功《上清天心正法》(《正统道藏》正一部)
- 卿希泰主编《中国道教史》第二卷第五章
- Edward L. Davis, Society and the Supernatural in Song China, University of Hawai'i Press, 2001
- Livia Kohn (ed.), Daoism Handbook, ch. 18
- 道教文化中心资料库:天心派