神霄派Shenxiao (Divine Empyrean) School
- 別称
- 神霄雷法, 神霄雷法派, 林霊素派, 王文卿派
- 種類
- 道派
- 時代
- 北宋—明
- 創立
- 北宋の政和年間(約1112年—1118年)、林霊素が徽宗の寵信を受けて神霄の教を立て、王文卿が雷法を伝えた
- 開祖
- 林霊素, 王文卿
- 地域
- 北宋の汴京、江西、福建、江南各地
- 存続
- 他派に融合 — 元明以降は正一教に融け込んだ。神霄五雷法は今日の正一科儀と台湾・閩粤地方の道壇において今なお広く行われており、薩守堅(薩祖)信仰は閩台に流行している。
概説
神霄派は北宋末に興った雷法を特色とする符籙道派である。「神霄」とは九天の上にある最高天界を指す。政和年間、温州の道士林霊素は徽宗に召見され、徽宗を「神霄玉清王」(長生大帝君)の化身であると宣言し、天下に神霄玉清万寿宮を建てるべきだと説いた。徽宗は自ら「教主道君皇帝」と称し、神霄の教えは一時風靡した。各州では仏寺を神霄宮に改め、また「神霄籙」が編製された。靖康の変の後、林霊素はすでに没しており(1119年)、神霄派は朝廷の支持を失ったが、王文卿(1093—1153)が広めた「神霄五雷法」は南宋以降の雷法の主流となった。王文卿は自ら火師汪君の伝授を受けたと称し、『冲虚通妙侍宸王先生家話』などを撰した。その後神霄雷法は南宗の内丹と結びつき、白玉蟾は「内に煉りて丹と成し、外に用いて法と成す」と説いて雷法を解釈した。元代の薩守堅(西河派)、莫月鼎、明代の周玄真らが引き続きこれを伝承し、『道法会元』には神霄雷法が大量に収録されている。神霄派は雷法の効験は自身の元神元気をもって雷部の神将を感召することにあると主張し、それゆえ内丹修煉と密接に結びついている。その「五雷正法」は後世の正一教各支派に広く採用され、天師府もまた「五雷籙」を伝えている。神霄派には厳密な教団制度はなく、法術の伝承を紐帯とする道派であり、元明以降は正一教に併合されたが、その雷法は今日の正一科儀においてなお重要な地位を占めている。
核心教義
神霄玉清王(長生大帝)を尊神とし、九天雷祖と雷部の諸神を奉じる。「天人合一」「内煉を本とし外法を用とす」を主張し、雷法を行う者はまず内丹によって真を修め、自らの炁をもって雷神を感召しなければならないと考える。忠孝正直であってはじめて雷を役使できることを強調する。徽宗が神霄の帝子の化身であるという(政治神学)を宣揚した。この政治神学は靖康の変の後、意義を失った。
修行と科儀
五雷正法——訣を掐み、符を書き、呪を念じ、神を存し、将を召し、雷を発する——を、祈雨・駆邪・治病・鎮妖に用いる。神霄籙、五雷籙を受ける。内丹の静坐と「気を聚め功を発する」ことを結びつける。神霄宮を建て、斎醮を行う。神霄派はまた神霄籙と神霄の斎儀を制定し、宋の徽宗の時代に『神霄玉清万寿宮詔』が頒布され、各州に神霄宮が建てられ神霄の斎が設けられた。
伝承
北宋の林霊素(宮廷神霄の教え)。王文卿(自ら火師汪君の伝授を受けたと称する)→ 弟子の朱智卿・熊山人・薩守堅ら → 白玉蟾が内丹と雷法を融合 → 元代の莫月鼎、張善淵 → 明代の周玄真ら → 正一教の各支派に融け込み、薩祖派、西河派などは今なお神霄雷法を掲げる。
主要経典
『道法会元』代表的な人物
林霊素, 王文卿, 宋徽宗, 白玉蟾, 薩守堅主要宮観
龍虎山- 维基百科:神霄派
- 《宋史·方技传·林灵素》;《道法会元》(《正统道藏》正一部)
- 卿希泰主编《中国道教史》第二卷第五章、第三卷第二章
- 李远国《神霄雷法:道教神霄派沿革与思想》,四川人民出版社,2003 年
- Livia Kohn (ed.), Daoism Handbook, ch. 18 (Lowell Skar)
- Florian C. Reiter, Basic Conditions of Taoist Thunder Magic, Harrassowitz, 2007