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陶仲文Tao Zhongwen

字・道号
原名は典真, 字は典真、号は成一(一説), 神霄保国宣教高士, 少師少傅少保
時代
生没年
1475 — 1560
流派
正一教, 神霄派
役割
道士朝廷道教指導者斎醮大師
出身地
黄岡(今の湖北黄岡)

生涯

陶仲文は湖北黄岡の人であり、もとは県吏で符水の術を修め、邵元節の推薦によって入京した。嘉靖十八年(1539)に世宗の南巡に随行し、祈祷が「験」あったことから寵愛を受け、邵元節の死後に道教を掌ることとなった。彼は「神霄保国宣教高士」「礼部尚書」「少保・少傅・少師」を歴任し、一身に三孤を兼ねるという明代の文臣にとって前例のない待遇を受け、世宗から「師」と仰がれた。宮中の斎醮・青詞・煉丹進薬を二十余年にわたり主宰し、嘉靖後期の政治にも関与して一時権勢を振るった。嘉靖三十九年(1560)に卒し、追贈加官された。陶仲文は嘉靖崇道政治の頂点に立つ人物であり、その死後も世宗は崇道を続けた。史書の多くは彼を「佞幸」に列し否定的に評価するが、彼はまた明代における皇権と道教の結合が極端な形をとった姿を代表する人物でもある。

業績と影響

  • 邵元節の後を継ぎ、嘉靖朝の道教を二十余年にわたって掌った
  • 斎醮・青詞と煉丹をもって嘉靖後期の宮廷道教活動を主導した
  • 「三孤」の位をもって明代道士の政治的地位の頂点に立った
参考文献
  1. 《明史·佞幸传》
  2. 《明世宗实录》
  3. 卿希泰主编《中国道教史》第三卷
  4. 维基百科"陶仲文"条目