許謐Xu Mi
生涯
許謐は、一名穆、字は思玄。東晋の丹陽句容の士族で、官は護軍長史・給事中に至り、世に「許長史」と称された。彼は楊羲の降真活動の資助者であり、主要な受経者であった。興寧年間、楊羲は許家の邸宅で諸真の降誥を記録し、許謐とその子許翙は経を受けて書写し、『上清大洞真経』などの経訣を授かった。許謐は官職にあったが、篤く道教を信じ、晩年は茅山雷平山の麓に退隠して修道し、その子とともに上清経法を奉行した。その自筆で書写した経文の一部は陶弘景が『真誥』に収録している。上清派は許謐を第三代宗師と尊ぶ。許氏一族はもと天師道を奉じており、葛洪、王羲之らの家系と姻戚関係にあり、東晋江南士族道教の典型的な代表である。
業績と影響
- 楊羲の降真活動を資助し参与し、上清経の最も早い受経者となった
- 許氏一族が保存した経文が陶弘景による上清経整理の基礎となった
- 上清派第三代宗師
伝説
『真誥』は諸真が許謐に仙位「上清左卿」を授けると約したと記す。宗教的叙事に属する。
参考文献
- 陶弘景《真诰》
- 《茅山志》
- 维基百科:许谧
- 卿希泰主编《中国道教史》第一卷