許翽Xu Hui
生涯
許翙は、字は道翔、幼名を玉斧といい、許謐の第三子で、上計掾・主簿を務め、世に「許掾」と称された。彼は若い頃から道を好み、父とともに楊羲が伝授した上清経訣を受け、熱心に書写した。「掾の書はすなわち楊を学んだが、字体は勁利であった」とされ、その筆跡もまた陶弘景により『真誥』に収録されている。許翙はのちに茅山方隅山に隠棲して修行し、太和五年(370)に死去した。享年わずか三十歳であったが、道書は彼が「化去」したと記す。実際、上清の諸真の降誥の多くは、許翙の修道と「仙官」授与の約束をめぐって展開されている。その子許黄民は、剡の地で楊・許の経巻を保存し伝出しており、上清経の流伝における重要な環節である。上清派は許翙を第四代宗師と尊ぶ。
業績と影響
- 経を受けて上清経訣を書写し、楊羲・許謐とともに「三君」と称された
- 上清派第四代宗師
伝説
『真誥』は許翙が修道して成就し、真人により「上清仙官」を授けられると約されたと記す。宗教的叙事に属する。
参考文献
- 陶弘景《真诰》
- 《茅山志》
- 维基百科:许翙