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郭守真Guo Shouzhen

字・道号
名は守真, 号は静陽子, 紫陽真人(後世の尊称)
時代
明末~清
生没年
1606 — 1690年(一説に1713年)
流派
全真龍門派, 全真教
役割
全真道士開山祖師叢林住持
出身地
南京丹陽(現在の江蘇丹陽)
活動地
瀋陽太清宮

生涯

郭守真、号は静陽子は、江蘇丹陽の人で、清初における遼東道教の開創者である。明末に乱を避けて北へ逃れ、遼東の本渓鉄刹山八宝雲光洞に隠棲して多年修行した。修めるところが未だ意に満たなかったため、清初に南下して道を訪ね、龍門派の李常明を師として拝し、全真龍門第八代の伝人となり、順治年間には北京の白雲観にて王常月が主宰する「三壇大戒」を受けた。康熙二年(1663)、盛京地区が大旱に見舞われ、将軍烏庫礼が郭守真を招いて壇を設け雨を祈らせたところ験があり、そこで地を舍して盛京城西北に「三教堂」を建てた。これが今日の瀋陽太清宮の前身である(乾隆年間に水害で毀れ、重修の後に今の名に改められた)。郭守真はここで壇を開いて徒を授け、山東・直隷および満洲より来た八名の弟子を得て、それぞれ郭祖門下の諸支を開かせ、全真龍門派を東北の地に根付かせ、瀋陽太清宮、本渓鉄刹山、千山無量観を核とする遼東道教のネットワークを形成した。彼は東北全真教の開山祖師として尊ばれ、その伝承の字派は今なお東北の宮観で用いられている。

業績と影響

  • 遼東全真龍門派の伝承を開創し、東北道教の開山祖師として奉じられた
  • 康熙二年に三教堂(今の瀋陽太清宮)を建て、東北道教の中心とした
  • 八人の弟子を育て、龍門派東北諸支の字派の系譜を形成した
  • 鉄刹山、千山など東北道教の聖地の興隆を推し進めた

伝説

祈雨がたちどころに験を得て宮観を建てる地を得たという話は宮観の碑記や地方志に見えるが、宗教的色彩を帯びた記述に属する。享年108歳とする説も諸本で一致せず、疑いを存すべきである。

参考文献
  1. 《沈阳太清宫志》与宫内碑记
  2. 《奉天通志》
  3. 维基百科“郭守真”条目
  4. 卿希泰主编《中国道教史》第四卷