陳摶Chen Tuan
生涯
陳摶、字は図南、自ら扶揺子と号し、五代宋初の著名な道士・隠士である。若くして進士に挙げられたが及第せず、そこで武当山九室岩に隠棲し、服気・辟穀すること二十余年に及んだ。その後、華山雲台観、少華石室に居を移し、「寝処するごとに、多くは百余日起きず」という状態であったと伝えられる。後唐の明宗は「清虚処士」の号を賜り、後周の世宗は飛昇黄白の術について問うたが、陳摶は「陛下は四海の主たれば、まさに致治を念とすべし、いかんぞ黄白の事に意を留められるや」と答え、「白雲先生」の号を賜った。宋の太宗は太平興国年間に二度召見し、雍熙元年(984)には「希夷先生」の号を賜った。端拱二年(989)、華山の張超谷にて没し、享年百十八(『宋史』の記載により推算)であったという。陳摶は『易』学に精しく、『先天図』『太極図』『河図』『洛書』を伝え、种放・穆修・李之才を経て周敦頤・邵雍へと伝わり、宋代の理学における図書の学の源流となった。内丹においては『指玄篇』『無極図』などを著し、性命双修を主張し、後世の内丹南宗・北宗いずれからも推崇された。華山には今なお希夷祠、睡仙洞などの遺跡が残る。
業績と影響
- 『先天図』『太極図』『無極図』を伝え、宋代の図書易学および理学の重要な淵源となった
- 内丹修煉の理論(睡功、性命双修)は宋元内丹学の先導となった
- 隠士高道の姿をもって五代宋初の歴代皇帝の礼遇を受けた
著作
- 『指玄篇』(佚、散見)
- 『無極図』(伝)
- 『先天図』(伝)
- 『龍図序』(伝)
- 『陰真君還丹歌注』(題名)
- 『麻衣道者正易心法』(題名)
伝説
伝説によれば、陳摶は一度眠ると百余日目覚めなかったといい、また趙匡胤と碁を打って華山を賭けて勝ったとも、宋の太祖の即位を聞いて驢馬から転げ落ちるほど大笑いし「天下はこれより定まらん」と言ったとも伝えられる。いずれも伝説の類である。
参考文献
- 《宋史·隐逸传·陈抟》
- 维基百科:陈抟
- 卿希泰主编《中国道教史》第二卷
- Livia Kohn, "Chen Tuan in History and Legend"