三皇派Sanhuang (Three Sovereigns) Tradition
- 別称
- 三皇経派, 洞神部, 三皇文
- 種類
- 教派
- 時代
- 魏晋南北朝
- 創立
- 魏晋期(約3-4世紀)
- 開祖
- 帛和, 鮑靚
- 地域
- 江南
- 存続
- 湮滅 — 唐の貞観年間に禁止された後は独立した伝承を持たず、洞神部の名と三皇籙は正一籙の体系のうちに名目として存続している。
概説
三皇派は『三皇文』(『三皇内文』『天皇文』『地皇文』『人皇文』)を中心経典とする魏晋期の道教経派であり、陸修静の三洞分類においては「洞神部」に位置し、上清(洞真)、霊宝(洞玄)と鼎立する。葛洪『抱朴子内篇・遐覧』によれば、『三皇内文』は帛和が西城山の石室の壁に得たものであり、鮑靚(葛洪の岳父)も嵩山の石室において同文を得たという。三皇文は符文によって神を召し鬼を劾し、邪を辟け身を護るとされ、『五岳真形図』とともに「道書の重んずるもの」と並称された。三皇派は南朝において一定の伝承があり、梁の陶弘景もこれを著録している。唐代、三皇経に「天子これを受くれば太平を致すべし」などの文言があったため、貞観二十年(646年)唐太宗はその言が不軌に渉ると見なし、天下の『三皇経』を焼却させ、『道徳経』をもって代えさせた。三皇派はこれ以降衰微したが、洞神部の名と三皇斎などの儀礼は道蔵の体系のうちに名目として残った。三皇派には厳密な教団は存在せず、主として符法と経典の伝承体系であり、その歴史的価値は初期道教における符籙召神の伝統を代表し、三洞四輔体系の一角を成す点にある。宋元以降、三皇籙は正一籙の体系に組み込まれた。
核心教義
天皇、地皇、人皇およびその真文を崇拝の中心とし、三皇文を持てば神明に通じ、鬼神を召し劾し、災いを免れ福を致すことができるとする。符文の神聖性と秘伝性を重んじ、『五岳真形図』と相まって、初期道教における名山の神霊と地理の神聖性に関する観念を形成した。三皇文は「天文」と見なされ、石室に秘蔵し、しかるべき人でなければ伝えないとされ、初期道教における文字符号の霊力への信仰を反映している。
修行と科儀
三皇文と五岳真形図を受くる(歃血あるいは委質の盟誓を要する)。符文をもって神を召し鬼を劾する。三皇斎(陸修静が九斎十二法の一つに列す)。山に入りて符を佩び、三皇を存思する。洞神部の経籙伝授。山に入る際は三皇文と真形図を携えて虎狼や山精を避け、符を佩びる際には斎戒を要し、経を受ける際には歃血の盟誓と法信の納付を要する。
伝承
帛和(西城山)と鮑靚(嵩山)がそれぞれ『三皇文』を得る → 葛洪 → 南朝の道士による伝習 → 陸修静が洞神部に編入 → 唐初に禁止された後に衰微し、その経籙は三洞四輔体系に帰属した。南朝の陶弘景『登真隠訣』および劉宋の陸修静はいずれも三皇文を伝授したことがあり、唐初にその伝承は禁令とともに中断した。
主要経典
三皇経(三皇文), 抱朴子内篇代表的な人物
帛和, 鮑靚, 葛洪, 陸修静主要宮観
嵩山- 维基百科:三皇经
- 葛洪《抱朴子内篇·遐览》;《唐会要》卷五十
- 卿希泰主编《中国道教史》第一卷
- Kristofer Schipper & Franciscus Verellen (eds.), The Taoist Canon, 2004
- Dominic Steavu, The Writ of the Three Sovereigns, Chinese University of Hong Kong Press, 2019