日本における受容Reception of Daoism in Japan
- 別称
- 日本道教, 陰陽道, 庚申信仰, 妙見信仰, 泰山府君祭
- 種類
- 道派
- 時代
- 古代から現在まで
- 創立
- 5~8世紀に朝鮮半島経由および遣隋使・遣唐使によって道教的要素が伝わる。平安時代に陰陽道が成立(おおよそ9~10世紀)
- 地域
- 日本
- 存続
- 他派に融合 — 道教は日本において土着の教団を形成することはなく、その要素は神道、陰陽道、仏教と民俗に融け込んでいる。現代では少数の華僑道教廟宇と内丹・太極拳団体があるのみだが、学術研究はきわめて盛んである。
概説
道教は組織立った教団の形態で日本に伝わったことはないが、その思想・神霊・方術は古代より朝鮮半島や遣隋使・遣唐使を通じて大量に伝来し、日本の宗教文化に深い影響を与えており、学界ではこれを「日本における道教受容」と呼ぶ。古墳時代の鏡銘や神仙図像にはすでに神仙思想が見られる。『日本書紀』には天武天皇が「天渟中原瀛真人」と号したと記され、その「真人」「八色の姓」などの称号は道教に由来する。律令制の下、陰陽寮は陰陽五行・遁甲・式占などの中国の方術を吸収し、平安時代には安倍晴明らによって「陰陽道」として発展し、泰山府君祭・属星祭・庚申待など道教式の祭儀が行われた。庚申信仰(庚申を守る、三尸説に由来する)、妙見(北辰・北斗)信仰、天狗、山伏の修験道における九字護身法(「臨兵闘者皆陣列在前」は『抱朴子』に出る)などは、いずれも道教的要素が日本化したものである。中世以降、道教の典籍(『太上感応篇』『功過格』『陰騭文』)が伝わり、江戸時代の儒者や庶民の間で流行し、呂祖・関帝・媽祖は長崎の華人寺院でも祀られた。近代以降、日本の学者(小柳司気太、福井康順、吉岡義豊、酒井忠夫、福永光司など)が道教研究の伝統を築き、1950年に日本道教学会が成立した。20世紀末以来、日本各地には全真教や内丹・気功の団体があり、横浜、神戸などの華僑コミュニティには関帝廟、媽祖廟があるが、道教信徒はごくわずかである。日本における受容は、道教が文化的要素として国境を越えて伝播する一つの様式——教団としてではなく、方術・神霊・倫理書を媒介として浸透する様式——を示している。
核心教義
独立した教義体系は持たない。吸収された道教的要素には、陰陽五行と星辰崇拝(北斗、泰山府君)、神仙長生思想、三尸庚申説、『感応篇』式の善悪応報の倫理、護身の符呪などが含まれ、多くは神道、仏教(密教)、儒学と融合している。日本にはまた天神、妙見、泰山府君など「道教的」な神霊が神道や仏教に吸収されているが、独立した「道教」教団としての意識は形成されなかった。
修行と科儀
陰陽道の祭儀(泰山府君祭、属星祭、四角四境祭)、庚申待の集会と庚申塔、妙見参り、九字護身、符呪、『感応篇』『功過格』の読誦、道観式の華人廟宇祭祀(長崎、横浜、神戸)。近代の気功、内丹、太極拳団体の活動。現代の日本にも庚申講、妙見信仰などの民俗が遺存している。
伝承
5〜8世紀に百済および遣隋使・遣唐使を通じて伝来 → 律令制下の陰陽寮 → 平安時代の陰陽道(賀茂・安倍両家)→ 中世の庚申・妙見・修験道 → 江戸時代の善書の流行 → 近代の道教学術研究(1950年日本道教学会)→ 現代の華僑廟宇と養生団体。
主要経典
『太上感応篇』, 『文昌帝君陰騭文』, 抱朴子内篇代表的な人物
福井康順, 吉岡義豊主要宮観
横浜中華街関帝廟, 神戸関帝廟- 维基百科:日本の道教
- 福永光司《道教と日本文化》,人文书院,1982 年
- 野口铁郎等编《道教事典》,平河出版社,1994 年
- Livia Kohn (ed.), Daoism Handbook, ch. 28 (Masuo Shin'ichirō, “Daoism in Japan”)
- 增尾伸一郎《道教と中国撰述仏典》;下出积与《日本古代の神祇と道教》
- 日本道教学会