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内丹東派Eastern Lineage of Internal Alchemy (Dongpai)

別称
東派, 陸西星派, 方壺派
種類
学派
時代
創立
明の嘉靖年間(約1547-1560年代)、陸西星は呂祖より降授を受けたと称した
開祖
陸西星
継承元
鍾呂内丹派
地域
江蘇興化、揚州一帯
存続
他派に融合 — 教団の伝承はないが、その理論は近現代の内丹学に融け込んでいる。陸西星の著作は内丹の研究者・修習者の間で比較的大きな影響を持つ。

概説

内丹東派は、明代江蘇興化の人陸西星(1520—1606?)が開いた内丹の流派で、その地が江南の東に位置し、のちに興った四川李西月の「西派」と相対することからこの名がある。陸西星、字は長庚、号は潜虚。しばしば科挙に落第し、嘉靖二十六年(1547 年)よりみずから呂洞賓が「北海草堂」に降臨して丹訣を授けたと称し、『方壺外史』十五種を著した。これには『金丹就正篇』『玄膚論』『七破論』および『周易参同契測疏』『悟真篇小序』などが含まれ、さらに『荘子』に注した『南華真経副墨』、仏典を釈した『楞厳経述旨』がある。東派の丹法は陰陽双修(「同類陰陽」)を主張し、男女それぞれの気が煉丹の薬物になりうるとするが、「御女采戦の術にあらず」と強調し、「神交気交にして体交せず」であるべきとするため、道教内部において長らく論争の的となってきた。同時にその性命理論は精深であり、明代内丹学の重要な代表とみなされている。伝えるところによれば『封神演義』の作者もまた陸西星であるという(この説には疑問が残る)。東派には教団組織がなく、弟子の伝承もはっきりしないが、清代には孫汝忠・傅金銓らがその余脈を承け、近代においても東派を称する者がなお存在する。東派の理論は清代李西月の西派と近現代の内丹研究に直接の影響を与えた。

核心教義

鍾呂・南宗の理論を承け、陰陽双修における「同類陰陽」「彼此互施」を主張し、先天真鉛を薬物とする。「玄牝」「三関」「九層煉心」などの説を唱え、性命双修としつつも命功を入り口とする。儒仏道を調和し、『易』『参同』を経として重んじる。陸西星は『参同契』『悟真篇』を経とし、「金丹大道は必ず同類に資る」と考える一方、心性の修養を先とすることをも強調し、「先に性を修め、後に命を修める」ことを主張して、従来の南宗の次第とは趣を異にする。

修行と科儀

静定して基を築き、彼家より薬を採り、鼎器・火候を用いるなどの陰陽丹法。あわせて清修の静坐、経典の講学を補助とする。具体的な口訣は秘伝されており、従来より論争が大きい。陸西星自身とその著作は、基を築き炼己し静坐して中を守ることの重要性を強調し、長期の清修を経ないままに双修を語る者は「盲修瞎煉」であるとする。東派の実際の操作の細部は多くが秘伝であり、学界は主にその著作に基づいて推断している。

伝承

みずから呂洞賓の降授を称する(1547 年より)→ 陸西星 → 弟子は詳らかでない。清代の孫汝忠・傅金銓(済一子)らは東派に帰せられる。近現代においてもなお東派を自任する伝習者がある。陸西星は在世中、主として著述と少数の入室弟子によって法を伝え、宮観や教団を建てたことはなく、そのため東派は実質的にその著作を核心とする理論的流派である。

主要経典

方壺外史

代表的な人物

陸西星, 孫汝忠, 傅金銓
参考文献
  1. 维基百科:陆西星
  2. 陆西星《方壶外史》
  3. 卿希泰主编《中国道教史》第三卷第四章
  4. 胡孚琛《道学通论》,社会科学文献出版社,2004 年
  5. Fabrizio Pregadio (ed.), The Encyclopedia of Taoism, 2008, “Lu Xixing” 条