王処一Wang Chuyi
生涯
王処一は山東寧海の人、全真七子の一人であり、1168年に王重陽に師事した。以後、長らく文登の鉄槎山雲光洞に居して九年間苦修し、伝えられるところでは長期にわたり素足のまま山石の上に独り立ったといい、「鉄脚仙人」と呼ばれた。金の大定二十八年(1188)と二十九年の二度にわたり金の世宗、章宗の召に応じて燕京に入り、宮廷のために醮を設けて祈祷を行った。全真七子の中で最も早く朝廷の承認を得た人物である。彼が伝えた一系は「嵛山派」と称され、膠東において深遠な影響を及ぼした。『雲光集』を著し、ほかに弟子が記録した『清真集』がある。元の至元六年に「玉陽体玄広度真人」を追封された。また命を奉じて山東、河北の多くの宮観の建設を主宰し、全真教が金代に山東半島から内地へと拡張する上での重要な推進者であった。
業績と影響
- 全真七子の一人として嵛山派を創始した
- 二度にわたり召を奉じて入京し、全真教が金の朝廷から最初の承認を得ることに寄与した
- 膠東において伝道し、聖水玉虚観などを建立した
著作
- 『雲光集』
- 『西岳華山志』(題)
- 『清真集』
伝説
「鉄脚仙人」が雲光洞において九年間独り立ち続けたという説は伝説に属する。
参考文献
- 《金莲正宗记》(道藏)
- 卿希泰主编《中国道教史》第三卷
- 维基百科"王处一"条目