劉混康Liu Hunkang
生涯
劉混康、字は志通、北宋茅山上清派第二十五代宗師。若くして入道し、茅山の毛奉柔より上清大洞経箓を受け、積金山(茅山積金峰)に居した。哲宗の紹聖年間(1094–1098)、符水をもって孟皇后(一説に太后)の病を治し、「洞元通妙先生」の号を賜り、茅山に元符観(後に元符万寧宮と改称)を勅建され、御書および九老仙都君玉印・玉圭・哈硯などを賜った。「茅山四宝」はここに由来する。徽宗の即位後、「葆真観妙沖和先生」の号を加えられ、たびたび都に召され、上清儲祥宮に居した。徽宗の崇道初期において最も寵信を受けた道士の一人であり、その上奏と諫言は徽宗前期の道教政策に影響を及ぼした。大観二年(1108)に卒し、太中大夫を贈られた。劉混康の時代、茅山上清宗壇の朝廷における地位は宋代の頂点に達し、龍虎・閣皂とともに「三山符籙」と並称された。
業績と影響
- 茅山宗師として哲宗・徽宗の礼遇を受け、茅山元符宮はこれによって建てられた
- 北宋茅山上清派最盛期の宗師で、三山符籙の格局を確立した
伝説
伝説によれば、符水をもって皇后が誤って呑み込んだ針による病を治したとされ、また徽宗は彼が鶴と化して卒したとの夢を見たと伝えられる。
参考文献
- 《茅山志》
- 《宋史·徽宗纪》(相关)
- 维基百科:刘混康
- 卿希泰主编《中国道教史》第二卷