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于吉Yu Ji

字・道号
干吉
時代
後漢
生没年
? — 約200年
役割
方士初期道教の人物
出身地
琅琊(今の山東)

生涯

于吉(干吉とも作る)は、後漢末の方士で、琅邪の人である。『後漢書・襄楷伝』には、彼が曲陽の泉水の上で「神書」百七十巻、すなわち『太平清領書』を得て、弟子の宮崇がこれを順帝に献じたと記される。『三国志・孫策伝』注に引く『江表伝』には次のように記される。「時に道士琅邪の于吉なる者あり、先に東方に寓居し、呉会を往来し、精舎を立て、香を焼き道書を読み、符水を制作して病を治す。呉会の人多くこれに事う。」孫策は衆を惑わすとしてこれを咎め、建安五年(200)前後に斬殺したという。一方『捜神記』などは、孫策がまもなく于吉の祟りによって死んだと伝える。于吉と順帝の時の于吉とが同一人物であるか否かについては学界に異論がある。彼は、符水による治病と衆を集めての伝教という、漢末江南における初期道教の一形態を代表する人物である。

業績と影響

  • 『太平清領書』(『太平経』)の伝出者である
  • 符水によって病を治して呉会の地に教えを広め、江南における初期道教の伝播者となった

著作

  • 『太平清領書』(伝)

伝説

伝説によれば、孫策は于吉を殺した後、独り座るたびに于吉が傍らにいるのを見、鏡を照らせば鏡の中にその姿を見て、ついに驚き恐れて死んだという(『捜神記』)。

参考文献
  1. 《后汉书·襄楷传》
  2. 《三国志·吴书·孙策传》裴注引《江表传》《搜神记》
  3. 维基百科:于吉