范長生Fan Changsheng
生涯
范長生は一名延久、また九重ともいい、字は元。西晋末から成漢期にかけての天師道の指導者で、涪陵丹興の人である。世に博学多才と伝えられ、青城山に居し、当地の天師道信徒千余家の首領であった。「素より名徳あり、蜀の民に重んぜられる」と称された。永興元年(304)、李雄が成都を攻めて糧食に窮した際、范長生は糧食と軍需を提供して支援した。李雄が成都王・皇帝を称した後、范長生を君主として奉じようとしたが、長生は固辞し、そこで丞相に拝され、「范賢」と尊ばれ、西山侯に封ぜられ、その部曲の軍役免除と租税の自収が認められた。成漢政権はこれによって「事少なく役稀にして、百姓富実す」と称された。范長生はこれによって天師道と地方政権が結合した典型的人物とみなされている。青城山にはその祠、范賢墓などの遺跡がある。東晋の大興元年(318)に没し、伝えるところでは齢百余歳であったという。
業績と影響
- 天師道の指導者として成漢政権を支持し輔佐した
- 西晋末の乱世において四川の天師道を維持した
著作
- 蜀才『易注』(一説に范長生の撰)
伝説
伝説によれば、范長生は齢百三十余歳にして長生の道を得たため、この名がついたという。
参考文献
- 《晋书·李雄载记》
- 《华阳国志·大同志》
- 维基百科:范长生
- 卿希泰主编《中国道教史》第一卷