呉全節Wu Quanjie
生涯
呉全節は江西饒州の人、元代玄教の第二代大宗師である。少年期に龍虎山に入って道を学び、至元二十四年(1287年)張留孫に従って入京し、フビライ以後の歴代皇帝に深く重んじられ、累進して特進上卿・玄教大宗師・総摂江淮荊襄等処道教に至った。張留孫の没後、二十余年にわたって玄教を主宰し、元代中後期の朝廷道教における中心人物であった。呉全節は文化的教養がきわめて高く、趙孟頫・虞集・掲傒斯・袁桷らの文人と親しく交わり、詩文・書法に長じ、蔵書も豊富で、元代の「文人化した道士」の代表とみなされる。しばしば地方のために請願し、賢才を推挙し、士林に重んじられた。1346年に没した。著書に『看雲集』(散佚)があり、事跡は虞集『河図仙壇之碑』などに見える。
業績と影響
- 張留孫の後を継いで玄教を執掌し、元朝と江南道教の連携を維持した
- 文人道士としての立場から士林と道教を橋渡しした
- 元代道教文化に関する重要な資料を残した
著作
- 『看雲集』(佚)
参考文献
- 《元史·释老传》
- 虞集《河图仙坛之碑》
- 卿希泰主编《中国道教史》第三卷
- 维基百科"吴全节"条目