茅盈Mao Ying
- 字・道号
- 字は叔申, 大茅君, 司命真君, 太元真人
- 時代
- (伝)前漢
- 生没年
- (伝)紀元前145年 — ?
- 流派
- 上清派, 茅山宗
- 役割
- 伝説の仙真上清派の尊神三茅君の長
- 出身地
- (伝)咸陽南関(現在の陝西省咸陽)
- 活動地
- 茅山(句曲山)
生涯
茅盈、字は叔申、道教の三茅君の長兄であり、上清派によって司命真君、太元真人として奉じられる。『茅君内伝』(現在『雲笈七籤』『道蔵』の諸本に伝わる)と陶弘景『真誥』によれば、茅盈は前漢の咸陽の人であり、十八歳で家を捨てて恒山に入り修道し、王君・西城王君に出会って玉佩金璫の道を授けられ、後に南下して句曲山(今の江蘇句容の茅山)で修煉した。その弟の茅固・茅衷も官職を辞してこれに従い、兄弟三人は相次いで道を得たため、世に「三茅君」と称され、句曲山はこのために茅山と改称された。上清経系は茅盈を人間の生死の簿籍を掌る司命真君と位置づけ、その位階は東岳大帝より上とされる。楊羲・許謐が受けた降真の中にも三茅君はしばしば現れ、上清の降経の物語における中心的な神格である。明確に区別すべきは、茅盈の「前漢咸陽の人」という身分は道教の仙伝にのみ見られ、正史には記載がなく、その人物像は東晋の上清経派が句曲山のために神聖な系譜を築くにあたって積み重ねられて構築されたものであるという点である。しかし、茅山が道教の聖地であること、三茅君が江南の地方信仰の対象であることの歴史的影響は、真実かつ持続的なものであり、今日でも茅山三宮は三茅君を主祀としている。
業績と影響
- 上清派の司命真君として、茅山という聖地の神聖な系譜の中核をなす
- 三茅君信仰によって句曲山は茅山と名付けられ、上清派の祖庭となった
- 『茅君内伝』に記された修道の次第と授受の儀礼は、上清派の伝経制度に影響を与えた
伝説
十八歳で恒山に入ったこと、西城王君から道を受けたこと、雲に乗り龍を駆って郷里に帰ったこと、一升の酒食で千人をあまねく饗したこと、白昼に昇天したことなどは、すべて『茅君内伝』『真誥』などの道教の仙伝に出るものであり、信仰上の伝説に属する。その前漢生まれの年代や具体的な年齢もまた教団内の伝説であり、史料による裏付けはない。
参考文献
- 《真诰》(陶弘景编)
- 《云笈七签》卷一〇四《太元真人东岳上卿司命真君传》
- Isabelle Robinet, La révélation du Shangqing
- 维基百科“三茅真君”条目