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魏の太武帝Emperor Taiwu of Northern Wei

字・道号
拓跋燾, 北魏の世祖
時代
北魏
生没年
408 — 452
流派
北天師道
役割
崇道帝王
出身地
平城(現在の山西大同)

生涯

北魏の太武帝拓跋燾(在位423―452)は、中国史上最初に道教を国教とした皇帝である。始光元年(424)、嵩山の道士・寇謙之が「道教を清整し、三張の偽法を除去する」ことを掲げた『雲中音誦新科之誡』を携えて平城に至り、司徒の崔浩の強い推挙によって重用され、太武帝は彼のために平城の東南に「天師道場」(五層の重壇)を設け、道士百二十人を養い、斎醮の法を行わせた。太延六年(440)、寇謙之は太上老君の玄孫・李譜文が符命を授け、「太平真君」の号をもって世を治めるべきであると称し、太武帝はそこで元号を太平真君と改めた。太平真君三年(442)、太武帝は自ら道壇に赴いて符籙を受け、法駕を備え旗幟をすべて青にし、以後、北魏の歴代皇帝が即位に際して道籙を受けることが定制となり、道教が国家権力の中枢に制度として組み込まれた最高点となった。もう一方で、崔浩の推進により、太平真君七年(446)、太武帝は仏教廃止の詔を下し、沙門を坑にし経像を毀ち、「三武一宗」の法難の最初となった。寇謙之はこれを諫めたが果たせなかった。太武帝は晩年、宦官の宗愛によって弑された。その後、文成帝は仏法を復興し、北魏の国家宗教は再び仏教へと向かい、北天師道の勢力もこれに伴って衰えていった。

業績と影響

  • 寇謙之が改革した後の北天師道を支援し、国家宗教とした
  • 元号を太平真君と改め、自ら道壇に赴いて符籙を受け、帝王が即位に際し受籙する制度を創始した
  • 平城に天師道場を建て、道士を養い、道教の官方的な組織形態を確立した
  • 446年に仏教廃止の詔を下し、「三武一宗」の最初となった(これはその重大な歴史的論争点である)

伝説

寇謙之が称した、太上老君とその玄孫・李譜文が符命を降授し、北方の太平真君を輔佐したという話は、宗教的な言説であって史実ではない。

参考文献
  1. 《魏书·释老志》
  2. 《魏书·世祖纪》《崔浩传》
  3. 汤用彤《汉魏两晋南北朝佛教史》
  4. 维基百科“拓跋焘”条目