唐の高祖Emperor Gaozu of Tang
生涯
唐の高祖李淵は、唐一代を通じた「道先仏後」の国策を確立し、道教が中国において最高の政治的地位を得る出発点となった人物である。李唐挙兵の際、楼観道の道士・岐暉(一名平定)らが糧食を援助し、「天道まさに改まらんとす」と唱えて声望を高めた。武徳三年(620)、晋州の人・吉善行が羊角山(現在の山西省浮山)で白衣の老父を見たと称し、自ら「我は而が祖なり、我がために唐の天子に語れ、我が子孫は千歳にわたり天下太平ならん」と言ったとされ、高祖はそこで老子李耳を李唐の祖先と宣言し、その地に慶唐観(一に興唐観と称する)を建て、老子を追尊した。武徳八年(625)、高祖は自ら国子学の釈奠に臨み、三教の順序を「老を先とし、次に孔、末に釈」と明確に定め、仏教を末位とした。この制度は唐代を通じてしばしば揺れ動いたが、「道先」の原則は概ね歴代皇帝によって守られた。彼はさらに終南山の楼観を拡建し(宗聖観と改名)、田を賜り額を賜り、楼観道を唐初において最も尊崇された道派とした。李唐が老子を祖先として奉じたことは、道教が皇室宗廟に準じる正統性を得ることを可能にし、高宗の上元元年(674)に老子が「太上玄元皇帝」と尊号されたこと、玄宗が崇玄学と道挙を設けたことなど、一連の国教化の措置に直接つながった。
業績と影響
- 老子李耳を李唐の祖先として尊び、唐代道教の国教化の基礎を築いた
- 武徳八年、三教の順序を道を先、儒を次、仏を後と定めた
- 終南の楼観を拡建して宗聖観と改名し、楼観道を扶植した
- 羊角山に慶唐観を建て、老君顕霊という国家的な物語を形成した
伝説
羊角山での老君顕霊、「我が子孫は千歳にわたり天下太平ならん」との言葉、および楼観道の道士による唐の興隆の予言などは、いずれも唐初における王朝の正統性構築のための宗教的言説に属する。
参考文献
- 《旧唐书·高祖本纪》
- 《混元圣纪》《唐会要》卷五十
- 《终南山说经台历代真仙碑记》
- 维基百科“李渊”条目