岐暉Qi Hui
生涯
岐暉は一名を平定といい、隋唐の際の楼観道の指導者である。隋の大業末、李淵が挙兵して隋に反すると、岐暉は「天道将に改まらんとす」と予言し、楼観道の食糧を傾けて唐軍を支援し、道士を率いて蒲津関に李淵の軍を出迎えた。唐の建国後、武徳三年(620)に高祖が自ら楼観に赴き、詔して楼観を「宗聖観」と改め、田千頃を賜った。岐暉は唐初において朝廷から最も厚遇された道士の一人となり、また李唐王朝と老子・楼観道とを結びつけた鍵となる人物でもある。貞観四年(630)に没した。楼観道はこれによって隆盛の時期に入り、唐初北方道教の中心となった。『混元聖紀』『歴代真仙碑記』などの書はいずれもこの出来事を、老子が密かに李唐を護り助けた証として記しており、岐暉もこれによって楼観道史上最も政治的影響力の大きい人物となった。
業績と影響
- 李淵の挙兵を支援し出迎え、唐王朝による楼観道と老子の尊崇を促した
- 楼観を宗聖観に改めさせ、唐代の盛期をもたらした
伝説
伝説によれば、岐暉は天命を予知することができたといい、唐の高祖が楼観に至った際には祥瑞が現れたと伝えられる。
参考文献
- 《终南山说经台历代真仙碑记》
- 《混元圣纪》
- 百度百科:楼观道
- 卿希泰主编《中国道教史》第二卷