梁の武帝Emperor Wu of Liang
- 字・道号
- 蕭衍, 梁の高祖
- 時代
- 南朝梁
- 生没年
- 464 — 549
- 役割
- 崇道帝王崇仏の帝王
- 出身地
- 南蘭陵(現在の江蘇常州一帯)
- 活動地
- 茅山(句曲山)
生涯
梁の武帝蕭衍と道教との関係は、信奉から捨棄へ、そして捨棄しつつも断絶しないという複雑な様相を呈している。彼は若い頃道を好み、天監三年(504)に『事李老道法を舎つるの詔』を下し、道を捨てて仏に帰することを宣言し、以後は仏教を大いに護持し、四度にわたり同泰寺に捨身するなど、南朝における崇仏の代表的存在となった。しかし彼と上清派の宗師・陶弘景との私的な交わりは生涯を貫いた。『梁書・陶弘景伝』によれば、蕭衍がまだ即位していなかった頃からすでに陶弘景と交わりがあり、「梁武帝早くよりこれと遊ぶ」とあり、即位後も繰り返し礼を尽くして招聘したが、陶弘景は頑として出仕せず、ついに茅山に隠棲した。「国家に吉凶征討の大事あるごとに、あらかじめこれに咨詢せざるはなく、月中常に数信あり、時人これを山中宰相と謂う」とされる。梁の武帝はさらに陶弘景の煉丹を援助し、使者を遣わして黄金、朱砂、曾青、雄黄などの薬料を供給し、陶弘景が煉じた「飛丹」はかつて御用に供されたという。その「山中宰相」の逸話は、中国の政教関係史において最も著名な隠者と帝王の範型となった。梁の武帝の治世は仏教を国教としていたが、この時期に茅山上清派は経法の整理と教団の建設を完成させ、道教が江南の士族社会において占める地位は揺るがず、南朝における仏道の勢力図を理解する上で重要な事例である。
業績と影響
- 陶弘景と生涯にわたって交わり、「山中宰相」という政教の典範を成した
- 陶弘景が茅山で煉丹するのを援助し薬料を供給し、間接的に南朝における外丹術の発展を推し進めた
- 道を捨て仏に仕えたとはいえ、茅山上清派に対する実際の保護を維持した
- その朝廷における仏道の消長は、南朝の宗教政策を研究する上で重要な事例である
伝説
陶弘景が煉じた丹薬について、「色は霜雪の如く、これを服せば体軽し」などとする記載は『梁書』と道教の伝記に出るもので、宗教的な修飾を含む。
参考文献
- 《梁书·武帝纪》《梁书·陶弘景传》
- 《南史·隐逸传》
- 《舍事李老道法诏》(《广弘明集》收)
- 维基百科“梁武帝”“陶弘景”条目