酈希誠Li Xicheng
- 字・道号
- 酈希成, 太玄真人
- 時代
- 元
- 生没年
- ? — 1259年頃
- 流派
- 真大道
- 役割
- 真大道掌教
- 出身地
- 不詳
生涯
酈希誠、元初真大道第五代掌教。金末、真大道は分裂し、その一支は酈希誠が率い、元の憲宗(モンケ・ハーン)の支持を得た。憲宗はかつて「太玄真人」の号を賜い、北方の大道教団を統べさせ、正式に教名を「真大道」と定めた。これは他の一支と区別するためであった。酈希誠は燕京に天宝宮を設けて教団の中心とし、教務を拡大し、その後、孫徳福・張清志らに位を伝えた。真大道は彼の後に最盛期を迎え、元中期以降しだいに衰退した。生没年は詳らかでないが、1259年前後に没したとされる。元代の碑刻、たとえば「大道延祥観碑」などにその教団の活動が記されており、学界では一般に彼を、金から元に入った後の真大道の教団再編における鍵となる人物とみなしている。
業績と影響
- 真大道の一支を率いて元朝の承認を得、正式に「真大道」と定めた
- 燕京天宝宮を中心として教団を拡大した
- 分裂していた真大道を統一へと導いた
参考文献
- 《元史·释老传》
- 陈垣《南宋初河北新道教考》
- 卿希泰主编《中国道教史》第三卷