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武則天(付)Wu Zetian

字・道号
武曌, 則天皇后, 聖神皇帝
時代
唐・武周
生没年
624 — 705
役割
帝王
出身地
并州文水(一説には長安)
活動地
嵩山

生涯

武則天は唐高宗の皇后で、690年から705年にかけて帝を称し周を建てた。彼女と道教との関係は両面的である。若年には感業寺の尼であったが、皇帝を称するに及んでは仏教の『大雲経』を利用して符命を作り、「釈教は道法の上に在り」と明令して抑道崇仏の姿勢を取り、科挙における『老子』の試験を廃し、老子の「玄元皇帝」の尊号を罷めた(一説に武周期に限るともいう)。この間、道教の地位は一時低下した。しかし他方で彼女は依然として潘師正・司馬承禎・葉法善ら道士を礼敬し、たびたび嵩山に赴いた。久視元年(700)には道士胡超を嵩山に遣わして金簡を投じて祈福させ(1982年に出土)、万歳通天年間には嵩山の神を「天中王」に封じ、晩年には道教の長生の術にも傾いた。神龍元年(705)、中宗が復位すると道教の旧制は回復された。この条は付録人物として、武周期における仏道の地位の変化を説明するために立てたものである。

業績と影響

  • 武周期に抑道崇仏の政策を取り、唐初以来の仏道の順序を変更した
  • 嵩山投金簡は唐代道教の投龍儀礼を伝える重要な実物資料である
参考文献
  1. 《旧唐书·则天皇后纪》
  2. 《新唐书·则天皇后纪》
  3. 维基百科:武则天
  4. 卿希泰主编《中国道教史》第二卷